先日、とある取引先が私の上司(結構なお偉いさん)を怒らせてしまい、取引先の方が謝罪にくることになりました。
「あららー」 と、蚊帳の外から眺めていたら、なんだかんだで私も同席することに。
謝罪にこられた取引先の方は、平身低頭の平謝り。
申し訳ない雰囲気を大いに醸し出しています。
ちなみに謝りに来られた方は、怒らせた当人ではなく弊社の営業担当の方。
その営業さん、謝るのが非常に上手いんですよね。
一切反論せず、上司の怒りを受け止めながら、落とし所を導いていきます。
今回の事件は取引先に非があることを誰もが認めていました。
そして、謝りにきたのは謝罪のプロ。
登場人物の立ち位置はハッキリしていました。
しばらくすると、優越感が自分の奥底から湧き出ていることに気がついたのです。
驚きました。
自分にもこんな意地悪い性格があったのかと。
普段謝ることの方が多いからでしょうか。謝られる側の優越感に浸ろうとしていました。
「この優越感は非常にやっかいだぞ。」
と思い、その感情に蓋をしました。
怒ることによる優越感中毒
普段よく怒っている方はおそらくこの優越感を求めているのでしょう。
自分は嫌な思いをされた被害者という、「加害者」に対する完全無敵感。
この優越感にハマってしまうことを良からずとも今回の事件で理解できてしまいました。
ただ、この優越感は何も生まないですよね。
周りに不快感をまき散らして得られるのは、刹那の気持ち良さだけ。
その後に残るのはお互いの不信感。
日常生活で怒り狂うおじさんを少しだけ理解できたとともに、そんな人には決してならないようにしようと決意した日でした。